■ 広島大学附属福山中・高等学校の中高一貫教育 ■


1 学校の概要

[中高一貫教育の学校生活]

 学校の運営は中高一貫で、運営機構は部・ 係で構成されているが、すべての部・係は中 高が別々に分かれてはいない。学年、HRの 編成に示す通り中学1年生から高等学校3年 生までを1年生から6年生と呼んでいて、中 学校に入学したものは、6年間この学校で過 ごすことになる。HRの教室も1・2年生が B棟、3・4年生がC棟、5・6年生がA棟 となっていて、施設・設備の利用も中高の区 別はない。
教官も中高一体で、4年生のHR を担任して次の年度に1年生のHRの担任に なることもあり逆の場合もある。授業は1校 時に2年生を指導した後で2校時に5年生を 指導するというこもある。中高一貫教育は日 常のものとなっていて、教官も生徒も普通は それを意識していない。中学生と高校生とが 共に学び生活している学校である。
 1・2・3年生は3学級で4・5・6年生 は5学級である。3年生は連絡入学で4年生 に上がるが、4年生に2学級分の高校からの 入学生が加わる。

[歴史と理念]

1951年、広島大学教育学部附属福山中学校が福山市緑町に成立し、翌1952年、 広島大学教育学部附属福山高等学校が同じ地に成立した。1962年、中高一貫教育の実践を始めた。 1973年、福山市春日町吉田に移転した。 1978年、広島大学改組に伴い、広島大学附属福山中・高等学校と改称した。

写真1 1950年代の緑町の校舎 写真2 1973年の新校舎

 広島大学の統合移転が一応完了し、「附属学校園の将来像へ向けての自己点検」で理念・目標を以下のようにのまとめた。

 

○ 使命と教育方針

(1)当校は、当地において、将来にわたって、教育基本法及び国立学校設置法施行規則に基づく附属校として、その使命を自覚し、その任務を果たしてゆく。
(2)当校は、自由・自主の伝統的校風のなかで、生徒の個性を尊重し、学力を伸ばし、人権感覚を持って自らの進路を主体的に切り拓いてゆく生徒の育成を教育方針として、創立以来教育実践を続けてきた。    
(3)当校の将来は、この附属校としての使命と、その独自の教育方針とを更に発展  させ、有為の人材を世界に送り出すとともに、地域の文化に貢献するものである。  当校は福山市に開校し以来半世紀を迎えようとしていっるが、地域の人々によって支えられてきた。戦後の劣悪な教育環境の中で、当時の教職員と生徒たちが懸命になって学校づくりをしていた時、地元福山市をはじめ、地元有志の方々から惜しみない援助を与えられた。また、春日町への移転・新校舎の設立は、福山市や卒業生や在校生の保護者等の地域の人々の協力によってできたのである。地域と共に発展することを教育の前提と考え、大学から離れて研究や実習に協力する、広島大学のエクステンション校として、次のことを目標としている。

○目標

(1)広島大学の広島県東部におけるエクステンション校として、広島大学の教育研究に協力しつつ、その研究成果の発表やサービスの拠点校を目指していきたい。
(2)広島大学の教育実習に協力しつつ、教員養成・現職教育等の理論と実践について研究していきたい。
(3)これからの生涯学習社会のおける中等教育の果たす役割について、実践的研究を進めるとともに、その研究成果を地域や社会に還元していきたい。  
(4)生徒の教育において、学力面だけでなく、人間の育成に必要な様々な要素を十分考慮した教育課程を編成し、ハイレベルな教育を進めることによって、有為な人材を育成したい。

[バラ園]

 当校のバラ園は、生徒や教職員や地域の人々に親しまれている。バラを市の花としている福山市が毎年行う「バラ花壇コンクール」で度々入賞している。校舎が緑町 にあつたころ、辺りの人々がバラ を植えているのを見て、学校に植 え始めたことにはじまる。1973年 に春日に校舎が移転し、バラ園も 移転し、地域からの協力もあり、 1976年に新しいバラ園は完成した。
ばらの写真

[山中正雄翁頌徳碑]

当校が成立したのは戦後であるが、前身校 の一つが山中高等女学校である。創設者の山 中正雄翁を頌徳する碑が、広島市から当校に 移設され、校門の西にたっている。
1887年に創立された山中高等女学校は、日本 最初の私立高女で近代日本の女子教育に大き な貢献をなした。1945年8月6日に広島に投下 された原子爆弾によって校舎が全焼し、学徒 動員で作業中の女子生徒四百名近くが被爆死 した。学校は、広島市から安浦町へ、さらに 福山市へと移転したが、碑は広島市千田町の 広島大学の跡地に残っていた。その碑を1996 年に移し設置し、当校が受け継いでいる。

碑の移設と記念式典

[自由]

学友会誌の表紙

校章のデザイン

校章は、オリーブの葉と実とを表している。松原郁二初代校長のデザインによるもので、1954年に制定された。
オリーブは古代ギリシャの文明を支えた植物であり、校章は古代ギリシャの文化を象徴したものである。地中海と瀬戸内海との風景が似かよっていて、沿岸の気候も共通するところがある。中学校と高等学校とが広島大学教育学部附属校として歩み始めるに当たって、古代ギリシャの市民の精神を育てようと志したのである。「自由に生きる人間であれ」というのである。今も、生徒の自治会を「生徒会」といわず「学友会」というが、互いに「学友」であろうという古代ギリシャの学園アカデミアの理想から命名されたものである。学友会の最大の行事「学友祭」における最高の賞を「ウルトラマリン賞」というが、「ウルトラマリン」は地中海の海の色「群青色」である。古代ギリシャの文化への憧れから創られたものは、「学友会」や「ウルトラマリン」と生徒の生活の中に生きている。「オリーブ」は校章であるが、また、行事の名であり、教育実習用宿舎の名であり、学友会誌の名でもある。
「オリーブ」の表す精神は「自由」という言葉で受け継がれ、語り続けられている。「附属福山中高の校風」と言えば「自由」だと言われる。たとえば、1997年4月の入学式では、入学生にたいして学友会の代表は「歓迎の辞」で次ぎのように述べている。

「附属福山」の「自由」

皆さんはこの附属福山で6年、あるいは3年の学校生活を送られることになりますが、一つだけぜひ考えていただきたいことがあります。それは当校の校風である「自由」についてです。「自由」とは何でしょうか。「自由」という漢字は、自らに由ると書きます。つまり、自分で自分を律することです。自らを律することは、自分の行動に責任を持つことです。他人から指示されるのではなく、自分で何をすればいいのか考え、行動することだと思います。自分で行動すれば、失敗することもあるかも知れません。しかし、そこで自分のどこが悪かったのか、なにが足りなかったのかを反省することで自分を見つめ直すことができます。
そうして、学校行事やクラブ活動、読書などを通じていろいろな人や様々な考え方に触れながら自分を掘り下げて、本当の自分らしさを創り出していくことができます。こうして見つけ出した本当の自分の持ち味、個性は、うわべだけのものではなく、自分一人しか持っていない人生の宝となるでしょう。この附属には宝である個性を輝かすことのできる場があります。
残念ながら、今の附属には「自由」だから規則も守らなくてもいいや、責任も果たさなくてもいいや、という風潮が、徐々に増えつつあるようですが、本当の「自由」な人間はどうあるべきなのかを、一緒に考えて行きましょう。

附属福山の中高生は、あるものは「自由」を当たり前のものとして享受し、あるものはその危機を自覚し自分たちにとっての意味を考え、「自由」を「校風」として学校生活を送っている。

[チャイムのない学校]

 1966年度から授業の開始・終了を告げるチャイムを廃止した。生徒が自主的に行動するという理想を求めたものである 。各教室やグランドのどこでも時計が設置してあり、教職員も生徒もそれを見て行動している。「自ら時間を守り、時間を大切にする」ことを目的としたものであって、実際にそれがよくできているとはいえないが、チャイムが鳴らないことは、学校生活に支障はなく、教職員や生徒に当たり前のこととして定着している。


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