広島大学附属福山中学・高等学校の前身、山中高等女学校を設立した故山中正雄氏をしのぶ頌徳碑(しょうとくひ)が、広島大学(広島市中区)からこのほど附属福山中学・高等学校に移された。広島大学が東広島市に移転するのに伴うもので、碑は原爆に耐え、多くの卒業生を見送ってきた。
碑の高さは5.08m、幅1.5m、厚さ0.52mの御影石製。1937年11月、広島市東千田町(当時)の山中高等女学校内に設立された。正面に「山中正雄翁頌徳碑」、両面に学校の教育方針「柔而剛(柔にして剛)」と彫られている。山中正雄氏(1848〜1919)は、女子の高等教育の必要性を訴え、1887年に全国で三番目、私学としては全国初の「広島高等女学校」を設立した。1908年に山中高等女学校と改称、1945年4月三代目理事長の山中トシ氏が国に土地と校舎を寄付し、50年に福山市に移転、51年に広大附属福山中学校になった。
碑は、爆心地から約1.5キロのところにあり、周辺の民家や校舎はすべて壊れたがこの碑だけは無傷で残った。
学徒動員された同校の生徒約400人が死亡。生き残った在校生や卒業生が投下後に学校に来たとき、焼け野原の中にポツンと立つ碑を見て、原爆の恐ろしさを感じたといわれる。
(朝日新聞1996.9.18 より引用)
移転記念式典
■期日 1996年10月20日(日)午後3時
■場所 広島大学附属福山中・高等学校
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