日時  2000年3月23日・24日

 対象  高等学校1年生希望者28名

 旅程  1日目 福山→京都→明日香村 泊

2日目 明日香村→京都→福山

(明日香村はレンタサイクルで移動) 

 

 

 

「古典旅行 ―― 飛鳥の旅」のページです。

明日香の地で生徒の書いた文章6編を、写真とともに紹介します。

 

甘樫丘

 

今日、甘樫丘へ行った。丘を登る途中、歌碑があり、それには

釆女の 袖吹きかへす 明日香風

京を遠み いたづらに吹く

と書かれていた。これは、浄御原宮から藤原宮に遷都した後に、旧都に志貴皇子が一人立ち戻った時、旧都をなつかしんで詠んだ歌だ。

今日行った甘樫丘からは、浄御原宮跡と藤原宮跡の両方が見渡すことができた。私の感覚では、二つの都はそんなに遠いところにあるとは思わなかった。目の前にあるように思われたが、当時の人々にとっては遠く感じられたのだろうか。この歌を詠んだ時、志貴皇子は政治の中央から離れた立場であった。そして浄御原宮は、新都の建設のため、材料にするため、建物は壊されて廃墟と化していた。遷都する前までは釆女などの雅な人々が町中を歩きまわっていたのが、今はただ、廃墟となった浄御原宮を悲しく風が吹いているだけである。そういう浄御原宮と、自分とを重ねていたのかもしれない。

ところで、甘樫丘からは、大和三山も見ることができた。どの山も、山と言うには低すぎ、香具山は丘のようだった。香具山は藤原宮の内部にある。それほどまでに、藤原宮は大きい都だったのだろう。今日サイクリングをしていて思ったのだが、浄御原宮は周りを山に囲まれていたので、小さい都だったのだろう。だから、藤原宮に遷った時の当時の人々は「大きい、すごい」と思ったはずだ。それでも、たくさん人が浄御原宮をなつかしんでいるということは、住んで数年のところより、生まれ故郷である都の方が感慨深くて、良い所だったのだろう。「住めば都」という、ことばがあるが、まさにそういうことなのだろう。

 

 

 

 

小原の里

 

事前学習では、ここの場所についての歌を調べていたのでどんな場所なのか、ということを想像してきたが、少し違っていた。

  我が里に 大雪降れり

     大原の 古りにし里に 降らまくは後

  我が岡の おかみに言ひて 降らしめし

 雪の摧けし そこに散りけむ

 まず最初に想像していたことは、天武天皇がいる所、すなわち飛鳥の都と、藤原夫人のいる所、すなわち大原の里の位置関係だ。天武天皇が「我が里」には雪が降っているが、「大原」には今は降っていない、といったように自慢げに詠んでいたことから、両地点間の距離は、かなり離れている、という感じを受けたがそれは間違いであった。なんと実際にはほとんど離れていないようであった。大雪が降るか降らないかの違いがあるにも関わらずあれほど両者が近かった、というのは天武天皇があえてからかうように、しかもそれを強調して詠んだからであると思った。万葉時代の人は、歌を通して本当に多くのことを表現していたと思うし、いろいろなことを伝えることが出来ていたと思う。だからこの天武天皇の歌のことも理解できるのかと思った。しかし、これはあくまで想像なので実際のことはわからない。もしかしたら天武天皇の辺りだけに大雪が降ったのかもしれない。

 このようにして、考えたり想像したりしていくと、万葉集やその他の古典文学にもなじんでいくことができると思う。詠んだ人の気持ちや背景がわかれば、もっともっと面白くなってくると思う。また、想像したりするだけでは、歌の理解に限界があると思う。そういうふうになってくると現地を訪れて実際に自分を同じか、それに近い環境に置くことによって歌の理解をより深めていくことがよいと思う。古典旅行はそういった意味で歌や歴史を理解するのを助けるのに重要な役割をもっていると思う。

 

 

 

 

 

飛鳥川

 

明日香川は、ある意味ではとても予想通りで、別の意味ではとても予想外な姿をしていました。上古麻呂の歌に

  今日もかも 明日香の川の 夕さらず かはづ鳴く 瀬の さやけくあるらむ

とありますが、この歌の様に遠い場所に移り住んでもなお忘れることの出来ない、思い出深い川として歌われている歌などを見ていると、少し大きめの川を想像してしまいがちのように思います。けれど、昔の話でもあり、素朴な歌も多いため、私はなんとなく小さなせせらぎをイメージしていました。そのため、大きさとしてはイメージとぴったりで、しっくりと納得することができたのですが、「せせらぎ」という私のイメージの中の明日香川は、もっと木々の緑の中を、透き通った川の水がさらさらと流れている、といった情景を想像してしまっていました。だから、今日実際に明日香川を見てみて、半ばやっぱりな、と思いながらも、どうしてこうなの、といった様な、複雑な気持ちでいっぱいになりました。現在の明日香川は、水も少なく、少しよどんでいて、お世辞にもあまりきれいだとは言えない様な川でした。先生のお話では、今は観光のシーズンではないため、川やそのほとりの道の整備中で、本来ならもう少し流れも豊かで、きれいな川なんだということでしたが、それをあまり上手く思い浮かべることが出来ません。コンクリートで固められていた所もあり、周囲にも手がかなり加えられている様なので、きっと昔は、私の思い描いた様な、自然のあふれる世界を流れる川だったのだろう、と思います。そう思いたいのですが、実際に歴史上の人物達が見てきた明日香川とは、いったいどんな姿をしていたのでしょうか。調べることや、今日の活動を通して、私はいつの間にか明日香川に深い愛着を持ってしまった様です。古の時代の明日香川に、ほんの少しでも触れられたら、と強く思います。このたびを終えてもそれを忘れることなく、もう一度、訪れたいです。

 

 

 

 

 

万葉集の2713に、

  明日香川 行く瀬を速み 早けむと 待つらむ妹を この日暮らしつ

という歌がある。この歌を詠むだけだと、明日香川を大きい川として受け止める人がほとんどだと思う。私もそう受け止めていた。だから、先生に「これが明日香川だぞぉ」と言われたときはすごくびっくりしたし、なんだか拍子抜けしたような感じさえもした。明日香川に対しての期待が大きかったのだ。

 実際の明日香川は、川幅も狭くて水量は少ないし、とても瀬が早いようには思えないものだった。しかし、昔は違っていたんだろうと思う。万葉集の1878、2702、2859に共通することは、「明日香川の水かさが増す」ということだ。明日香川の水かさが現在のようであったなら、どうしてこういう歌を詠むことができるだろうか。

 そこで私は、昔の明日香川を想像してみることにした。周囲には人家も道路もなく、生い茂った木と小鳥のさえずり声だけしかしない。川幅は約4メートルで、水が澄んでいるので川底の石がはっきりと見える。思わず手で水をすくって口に運んでみた。冷たくておいしい。なんて素晴らしい川なんだろう。一首詠んでみたいものだ。なんだか昔の人の気持ちが少しだけ分かったような気がする。

 万葉集に歌われている地に足を踏み入れて感じたことは、昔の人の感性の豊かさ、素直さだ。自分の思いを風流な歌にまとめ、それがとても素直な思いである。現代人にはまねできないだろう。感じたことをうまく口で表現しきれない自分が、恥ずかしかった。できることなら、昔に戻って万葉集に歌われている地で過ごしてみたい。そうしたら、自分の感情を素直に表現することができるのだろうか。今の私には、昔の人を尊敬することしかできない。少しでも昔の人に近づけたら、最高だ。

 

 

 

 

 

大和三山

 

今日一番心に残った場所は香具山でした。

  大和には 群山あれど とりよろふ 天香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は

 この歌は、自分が調べたので、よく覚えていたというのもあるけど、山の頂上に来たとき、なるほどと、すごく納得できた。香具山は、お皿をひっくり返したような形で、平べったい山だけど、実際に登ってみると、結構大変だった。舒明天皇は、重たい着物を着て、登ったのだろうか?そして、実際に頂上に立ってみると、思った以上にながめがよくて、三つの山に囲まれている藤原宮跡にいたときには見ることのできなかったながめだった。舒明天皇が、ここに立って、目の下に広がる様子を見て、得意げになっていたのが目に浮かぶようだった。そして、天皇は、今自分が立っている辺りに立って歌を詠んだのだろうと思うと、千年も前の歴史が身近に感じられ、現実味があった。この歌の口語訳を見て、最初に思い浮かべた想像図よりも、今はもっと、リアルに考えることができるし、天皇の気持ちも、少し分かることができる。こじんまりとした世界に住む天皇にとっては、世界中を見渡せたような気分だったかもしれない。こういう風に勝手にいろんなことを考えると、とてもおもしろい。でも、この歌に出てくるものでただ一つ「かもめ」は謎だった。海はないし、池にいるのもちょっと無理がありそうだった。しかし、香具山からの帰りに、田んぼの上をカモメらしい鳥が飛んでいるのを見て、一人で納得した。確かにカモメは天皇の頭の上を飛んでいたのだ。とても小さなことだけど、私にとっては大発見だった。今まで実感がわかなかったが、歴史はずっと続いているのを、感じた。奈良の飛鳥地方では、そういう万葉時代の面影を、たくさん見ることができた。そして万葉時代の人々の気持ちも少し分かることができて、とてもおもしろかった。

 

 

 

 

 

 

  釆女の 袖吹きかへす 明日香風

京を遠み いたづらに吹く

今日、実際に甘樫丘に登って都がどのように遷っていったのか説明を聞いて驚いたことは、初めの都があった土地が、四方を山に囲まれていて、思ったよりもすごく狭かったことです。私は都と言えば平城京などのように比較的広いものだという考えを知らず知らずのうちにもっていたようであんなに限られた土地に都があるというのは新鮮でした。また、都が狭い場所からより広い場所へと移されていったというのを聞いて、どういう風に飛鳥時代が発展していったか少し分かったような気がします。昔は交通手段が歩くことしかなく、私達が、昔の都と新しい都との距離はそんなに遠くはないと感じても、昔の人にとってはすごく遠いものであり、なかなか行けなくて前の都を恋しく思ったのだろうと思いました。また前の都をなつかしむ歌がたくさんあることから、明日香宮は当時の人々にとってとても親しまれていた大切な場所であり、また都が次々に移されていくことを嘆き悲しんだ人々も多かったのではないかと思いました。甘樫丘や大和三山の場所は今も昔も変わらず、昔都があった場所を目の当たりにすると、「昔ここに都があったんだなあ」となんだかすごく不思議な気持ちになりました。「今私が見ている景色を千年以上も前の人もまた見ていたんだ」と思うと、当たり前のことだけど、歴史はずっと続いているんだと感じました。歌が詠まれた現地に実際に行ってみると少しはその気持ちも理解しやすくなって和歌やその作者をより身近に感じることが出来ました。そういう点で、すごく今回の旅行は意味のあるものになりそうです。この他にも、飛鳥川が思っていたよりもはるかに小さく川幅の狭い川だったことなど新しく知ったことがけっこうあって、今日一日とてもたのしかったです。明日もどんな新しい発見があるか楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 


広島大学附属福山中・高等学校 国語科