地球を彫刻した男イサム・ノグチと生活を美に変えた魯山人の異色の交流を350点により展覧します。
魯山人「赤呉須花入」 |
魯山人「金彩雲錦鉢」 |
魯山人「於里遍青碧釉筋文長方大鉢」 |
イサム・ノグチ 「グレゴリー(偶像)」 |
イサム・ノグチ「私の無」 |
イサム・ノグチ(1904年、ロサン
ゼルス〜1989年、ニューヨーク)は
アメリカを代表する彫刻家です。と
同時に、陶芸作家であり、環境デザ
イナーであり、インテリア・デザイ
ナーであり、照明デザイナーであり、
舞台美術家でもありました。ひとつ
の型にはまることを避けながら、私
たちの生活と密着した芸術を追い求
めました。
一方、北大路魯山人(1883年、京
都〜1953年、鎌倉)は近代における
異色の陶芸家でありました。と同時
に、書家であり、篆刻作家であり、
画家であり、骨董屋店主であり、料
亭の料理人であり、美食家でもあり
ました。亀山人は生活における美学
を徹底的に追及した耽美的な芸術家
でありました。
本展は、この二人の巨匠の、生活
のなかに耽美的で芸術的な視点を取
り入れようとした造形活動を総合的
に回顧し、芸術と生活について考え
よう、という新しい試みの展覧会で
あります。
イサム・ノグチの作品はほとんど
が日本初公開。彫刻、陶作品、環境
プロジェクト、インテリア家具、照
明、舞台デザイン、素描など約200
点が、おもにニューヨークのイサ
ム・ノグチ財団などから出品されま
す。
北大路魯山人の作品は、陶器、漆
器、書、篆刻、絵画など約150点で、
おもに足立美術館、東京国立近代美
術館などから出品されます。
1950年、ノグチは建築家丹下健三
と広島平和公園のプランについて話
し合いました。
ノグチは是非そのプランに参加し
たし、との意向を伝え、太田川にかか
る2つの橋のデザインをしました。
それが、昇る太陽をイメージした≪つ
くる≫であり、船の骨組みを思わせ
る形の≪ゆく≫でありました。
そのとき、ノグチは≪広島の鐘の
塔≫と≪原爆慰霊碑≫のモデルを制
作しました。しかし、それは日系と
はいえアメリカ人のプランで原爆記
念碑を造るわけにいかないという理
由もあって、実現しませんでした。
ノグチが広島に貢献したかった背
景には、日系アメリカ人として出生
し、成長した孤独な少年の思い出や
第2次世界大戦における複雑な思い
などがあったものと思われます。
イサム・ノグチと北大路魯山人は 1950年頃、日本で出会っています。 ノグチは慶応義塾大学の新萬來舎 の家具インテリアなどを、建築家谷 口吉郎とともに制作活動するところ から、日本と関わりはじめました。 当時、女優山口淑子と結婚したノグ チに対し、亀山人は北鎌倉の築二百 年の農家を提供しました。そこで、 ノグチは古い日本のスタイルとモダ ニズムを融合したアトリエを築き、 亀山人の窯を使って陶器を制作しま した。 それは、日本的なものと西欧的モ ダニズムとの出会いであり、融合で ありました。 そのとき制作したノグチの陶器、 およびノグチ所蔵の亀山人の陶器も 出品されます。