ね ず |
和名:杜松(ねず).別名:ねずみさし・としょう. |
学名:Juniperus rigida Sieb.et Zucc.(ヒノキ科) | |
万葉:むろのき(むろの木). | |
日当たりのよいやせた土地にはえる直立の常緑低木.高さ0.5〜10m.葉は針状で先はとがりさわると痛い.花は春に開く.雌雄異株.球果は緑で熟して紫黒色. | |
球果 | |
我妹子(わぎもこ)が 見し鞆(とも)の浦の むろの木は 常世(とこよ)にあれど 見し人ぞなき 大伴旅人(おおとものたびと) 『万葉集』巻三446 私の妻がかつて見た鞆の浦のむろの木は、いつでも変わらずにここにあるが…、ああ、あの時いっしょに見た妻は今はもうこの世にいない。 |
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雌花
ネズの材は、硬くて緻密なため、建築材としては装飾的な部分や土台に使用しました。また、土木用材、船舶材としても使用しました。材は蚊遣りとしても効果があります。 種子からは油をとり、薬用や燈火用とします。(建築材、燈油) |
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鞆の浦のむろの木と大伴旅人 天平二(七三〇)年十一月、大宰府の長官であった大伴旅人は大納言に任ぜられ、十二月に帰京の途についた。船で瀬戸内海を東に向かい、福山市の鞆の浦を過ぎるときに、彼は 三首の歌を詠んでいる。前のページで紹介した「我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞなき」という歌は、そのうちの一首である。 二年前の神亀五(七二八)年、旅人は大宰府の長官になって鞆の浦を通って筑紫に下っていった。その後を追ってまもなく妻の大伴郎女も大宰府にやって来て共に過ごしたのだが、わずか二、三ヶ月、その年の四月頃に妻は亡くなった。 それから二年余りの後、妻を失った旅人は独り、かつて妻が筑紫に下るときに見たであろうこの鞆の浦のむろの木を見て、妻のことを思い出し、嘆き悲しむのである。 鞆の浦は、瀬戸内海を進む船が潮流をうかがうために必ず通過し停泊する、潮待ちの港として栄えた。今、鞆の浦は、落ち着いた風情の港町、弁天や仙酔などの緑の島々が、おだやかな美しい海に浮かんでいる。 中学3年生のLIFE「実感と創造−郷土の文学」では、「大伴旅人の心」を実感をもってより深くよむことができるようにと、鞆の浦の現地学習会を行っている。 鞆の浦の朝明け |
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校内分布図:●は植物の生育場所。 Back |