■ 広島大学附属福山中・高等学校の中高一貫教育 ■


2 中高一貫教育のあゆみ

[出発]

 1962年当校の中高一貫教育は始められた。青年前期から青年期へ成長していく生徒の特質を生かす教育を行おうとしたもので、具体的な目標として次のことを掲げた。

中高一貫教育の教育目標

●将来どのような変化の中にも敢然と飛びこんでいける積極的な人間の育成。そのために、特に体力と意志力の育成に努める。

● 変化する社会の新しい課題に対処して、生きて働くことのできる幅広い柔軟な学力と応変的態度のできる主体的人間の育成。

●知、情、意のバランスのとれた全人的発達をめざす。

●各人の個性、可能性を最大限に伸長させ、多様な能力の開発によって自信をもたせる。

●人間尊重の精神に徹し、きびしさを求めあう姿勢の中で、ともに高まりあう人間関係をそだてる。

中高の教育の理想を掲げたもので、現在「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」考えられている中高一貫教育の意義に通ずるものであった。

 中高一貫教育は、指導内容の配列を変えるだけでなしうるものではない。多くの例が示すように、高等学校の学習内容を中学校へ移行するということにおちいりやすいいが、当校では、学習は6年間で完成させるものであって5年間で終えるものではないと考えた。まず教師と生徒との意識の中から、中学校と高等学校との区別をとりさることから始まった。校内運営、生徒指導、クラブ活動などあらゆる教育活動が中高一体のものとしてすすめられた。このとき中学1学年から高校3学年までを1学年から6学年としたのである。そして、発達段階に応じて3区分し、教育第1部(1学年と2学年)、教育第2部(3学年と4学年)教育第3部(5学年と6学年)として、3教育部がそれぞれ目標を設け運営することとした。

[展開]

中高一貫教育体制の定着により、中高の区別の意識はなくなつた。そこで、1975年、教育体制を一体化させるために教育部を3区分していたのを廃し、1学年から6学年までを一本化した学年構成とした。生徒一人ひとりをより理解するための新しい試みとして、1・3・4・6学年をそれまでのHRを2組に分け各HR20人で編成し、1・3学年各6HR、4・6学年各10HRとした。教科の授業は普通2組が1つになって受けた。2・5年生はHR教室の確保ができないため20人編成としなっかた。HR担任の数はそれまでの24人から40人になり、教官が共通の立場から生徒を指導することになった。
 1979年HR20人編成を廃し、1・2・3学年各3HR、4、5、6学年各5HRにもどした。公務分掌を校務部(教務、総務)、研究部、生徒指導部(生活、学友会、同和教育、進路)の3部とした。
 1984年に、教務、総務、教育実習、研究、図書、同和教育、進路指導、生活指導、学友会指導の9係とした。
学校の組織は以上のように展開してきた。

現在の運営組織図

 中高一貫教育の具体的な教育内容や授業方法等の研究は、全体で、また、教科で続けられた。1975年1976年の「マルチメディア学習に関する具体的方法の開発に関する研究」で、学習者の認識過程の構造を研究し、中高一貫の立場で、すべての教科が理論と具体的な指導法を研究した。1977年に「マルチメディアと授業の構成」で、「1 教科のねらい 2 授業設計とメディア 3 具体的な授業設計」と各教科が学習指導の本質を考え、授業方法、指導案をまとめ発表した。

 1976年から1978年の3年間、「高等学校の、主として低学年において、中学校教育との連携を図るため、教育内容の一貫性、継続性を考慮した総合的な科目の導入を図る教育課程の研究開発」を行った。生徒にとって「人間」として必要なものは何かという視点から、中高一貫教育で中高の接点における教育を研究し、4学年で実践した。「理科 人間を中心においた自然の理解『人間の科学』」教科における多様な科目のカリキュラム構想の総合化、「国語 総合学習『言語』」教科をこえた諸分野の指導体系の総合化、「英語 総合英語」教科における目標・指導内容および方法の総合化、を研究したものである。

 当校の「中等教育 研究紀要」にも、中高一貫教育の研究が記されている。特に第9巻(1965年)、第10巻(1967年)は中高一貫教育を主題としたものであった。「中等教育 研究紀要」は1971年以後は毎年出されてきたが、各教科の中高一貫教育の実践が著されている。特に、保健体育科では教科全体で継続して研究してきている。


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