美術科教育研究(コンピュータを活用した美術の授業)

表現する道具(素材)としてのコンピュータ

目次 表現ツールとしての可能性

授業実践--2Dペイントツール

授業実践2--3Dモデリングツール

美術教育とコンピュータのかかわり

コンピュータグラフィックスと種類

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テーマの設定

 コンピュータが急速に生活の中に入り込み、それはもはや特別な機器ではなく、身近な机上にある日常的な道具のひとつになっている。美術デザインの分野でも造形表現のツールとして、プレゼンテーションやデザインワークなどに活用されている。
 新学習指導要領では、美術教育にコンピュータ等の機器の活用を考慮することの記述がある。しかし、何をどのように活用するのか、具体的には明らかにされていない。美術教育における可能性を授業実践をとおして研究考察してみたい。

表現ツールとしての特性と可能性

多くの試行錯誤が可能

 「これだ」と思う制作途中の状態をハードディスクに保存しておけば、いつでもある時点に戻ることができる。キャンバスと絵の具などの描写と違って、描き直しも容易である。描いた部分が気に入らなければ即キャンセルができ、一度彩色したカラーを変更したい場合もカラーチェンジが可能であるため、失敗を恐れず思い切った冒険ができる。つまり、制作過程の中で多様な実験や試行錯誤が可能となり、次から次へと可能性を追求させずにはおかない素材であり道具である。したがって、今までの手法と比較して多様なプロセスが出現する。

多彩な描画機能と表現能力

2D(2次元)のソフトウェアーの場合、エアーブラシや図形ツールなど豊富なペンツールを備えており、描いた形態の部分を任意に選択して、形の移動、拡大縮小、変形、回転、複写などができるので、レイアウトの自由度が拡大する。また、写真などをパソコンに読み込み、編集や多彩な効果を与えることも可能である。

 3D(3次元)のソフトウェアーを利用すれば、3次元空間に立体を回転させてあらゆる角度からの形を表示させながら自由に形を創ることができる。レイトレーシングモデルでは物体の光の屈折や反射、透過といった光の変化を計算することにより、金属やガラスといったリアルな明暗や質感を与えることができる。  さらに、単に画像や文字だけではなく、音声やアニメーション、動画といったデータとリンクできるのでマルチメディアな表現の可能性を秘めている。

消耗しない道具

 道具が減らない(消費しない)汚れない、用紙の代わりとしてのモニターは消耗しないし、グラフィックツール上の筆や絵の具はいくら酷使して無駄に使っても従来のようなコストに対する神経は不要になる。

シミュレーションが可能

 シミュレーションとは模擬実験などと訳されているが、完成した作品を色調・明度やレイアウトを変えて効果を検討したり、産業界であれば実際の製品を作り出す前に様々なサンプリング、テストや実験ができ、学術研究の分野では実際には見ることのできない世界を視覚化するような活用がされている。例えば、建築や都市計画 、人体内部細胞や惑星探査のシミュレーションなどはよく見かける。

表現する素材としてのコンピュータ

 美術の世界では使う道具により表現方法やその限界が違ってくる。例えば画用紙と水彩絵の具では、その素材の持つ「にじみ・ぼかし・透明感・柔らかさ」などといった特性を最大限に生かしながら制作する。それは油彩ともパステルとも異なったその素材ならではの表現であり、他にとって変わることはできない。

 コンピュータによる表現も同様で、これまで慣れ親しんできた絵の具道具の代替えとして考えるのではなく、コンピュータならではの手法や表現の可能性に目を向けるべきだと考える。コンピュータのツールの中には水彩画風や油絵風、パステル画風、絵の具を吹き付けるエアーブラシのような表現ができるが、それはあくまでもコンピュータによる表現であって、アプローチの方法や手法も、従来の画材とは異なる。CGはディスプレイの中で完結するものであり、ひとつの独立した素材による表現として評価すべきだと思う。また、単に画像や文字だけではなく、音声やアニメーション、動画といったデータとリンクできるのでマルチメディアな表現の可能性を秘めている。

 

美術教育とコンピュータのかかわり

(1)教育的なねらいを明確にする

 何にどういう目的で活用するのか、どの様な教育効果を求めるのか、教育的なねらいを明確にすることが重要である。美術教育においては、コンピュータそのものや操作を理解することが目的ではない。コンピュータを生徒の主体的な造形表現活動を支援するための有効な道具として活用するのである。生徒の意欲が向上し、自由で多様な創造活動の手がかりとなるような活用に目を向けるべきであろう。コンピュータが自動的に優れた作品を作り出すわけではない。この新しい手段により作品を作り出すのはあくまでも人間である。このことを念頭に置いてその可能性を探りたい。

 (2)コンピュータと美術教育の関わり

 言うまでもなく美術教育は、創造的な表現活動を通して「心や感性」を培い、個性的で創造性豊かな人間を育てることを主なねらいとするものである。しかも、それはからだ全体を働かせ、材料を直接扱いながら自ら主体的に考え、表現する喜びを体験することが重要なプロセスの一つである。しかし、コンピュータグラフィックスを使う作品制作はあくまでも架空の体験であり、直接材料に取り組む表現活動とは本質的に異なるものである。単にマウスやキーを操作し、ディスプレイに描き出せれたものをプリントして、体験的な造形活動と同等に扱い、体を通しての仕事を軽視するような風潮が広がるとすれば、美術教育の本質から離れ、人間教育としての大切なものを見失うことになる。

芸術とコンピュータという技術の融合によって生まれる新しい手法は、様々な可能性を秘めていると同時に大きな負の面を内在している。このことを充分に認識した上で、コンピュータの主体的な活用方法を考えたい。

 その前提として「コンピュータに何ができて、何ができないのか」その特性を充分知った上で取り組むことが重要である。CGは驚くほど便利で有用な機器であるが、美術教育への導入については慎重な論議がなされている。「コンピュータの過大評価や万能視」、その反論の「コンピュータアレルギー」であったりする。「コンピュータという機械に絵が描けるはずがない。描けたとしてもそれは人間性のある作品ではない」と言う意見もある。絵は極めてデリケートなもので、作者の「感触・感性・個性」などが現れる最も人間臭いものである。コンピュータはその様なものを阻害する存在として映るのであろう。しかし、コンピュータは所詮一つの道具である。鉛筆や定規、絵の具、筆、キャンバスといったそれぞれに違った特性や持ち味を持った道具の一つであると考えるべきである。だからコンピュータが他すべての道具に取って代わることはできないし、コンピュータが自動的に優れた作品を作り出すわけでもない。この新しい手段により作品を作り出すのはあくまでも人間である。このことを念頭に置いてその可能性を探るべきであろう。

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