山中高等女学校原爆慰霊祭
2016.08.06
広島大学附属福山中・高等学校の前身の学校の一つに,広島女子高等師範学校附属山中高等女学校があります。さらにその前身である山中高等女学校は、1887年(明治20年)に全国でも3番目に開校した高等女学校です。太平洋戦争中に山中高等女学校は国に寄付・移管され,広島女子高等師範学校(こちらも全国で3番目の女子高等師範学校)ならびに附属山中高等女学校となりました。
昭和20年8月6日,附属山中高等女学校の生徒たちは学徒勤労動員により,学年ごとに軍需工場や建物疎開の作業に当たっていました。1・2年生333名は,雑魚場町(現在の中区国泰寺町:爆心地から約1.2km)での建物疎開作業に動員されていましたが,原爆により1名を残して全滅しました。他の学年や教員を含めると,387名が亡くなりました。
昭和21年以降,8月6日には学校があった千田町で慰霊祭が行われましたが,昭和27年に建物疎開の作業を共に行っていた,広島県立広島第二高等女学校とともに,雑魚場町の荒神堂境内(現・中区国泰寺町1丁目)に両校の「殉国学徒之碑(上左の写真)」を建立し,それ以降はこの場所で,両校の合同慰霊祭を行っています。遺族の方々ほか関係のみなさんが高齢化する中で,現在は当校の同窓会の広島支部である,広島オリーブ会に慰霊祭のお世話をいただいています。
当校からも,毎年,学友会長ほか数名の生徒が参列しています。今年度も学友会長田中くん,副会長松本くん,総務委員長井上さんの3名が参列しました。8:00の開式後,学友会長による平和への誓いの献辞,学友会副会長による全校生徒が折った千羽鶴の献納,参列者の献花を終えた頃,8:15を迎え,参列者全員で1分間の黙祷を捧げました。
本日の慰霊祭には,第二県女の卒業生の取材に来られた,NHK広島放送局の出山アナウンサーの姿もありました。
終了後,参列した生徒3名は,被爆当時,附属山中高等女学校の教員だった平賀栄枝さん(平賀副校長の母)から,当時の様子を取材しました。
その成果は,またの機会に・・・