山中高女の慰霊祭
2020.08.06


今年も8月6日を迎えました。
75年前の8月6日は月曜日でした。

当時の女学校の生徒(1~4年+専攻科:現在の中1~高2の年齢)は,昭和19年に決定された学徒動員実施要綱に基づき,さまざまな場所で勤労奉仕に従事していました。福山附属の前身となった学校の一つである,広島女子高等師範学校附属山中高等女学校の生徒たちも,3年生以上は,倉敷航空機製作所(吉島)や三菱重工(己斐・観音),陸軍糧秣支敞(宇品・己斐),日本製鋼所(船越),三陽工作所(皆実),三宅製針工場(天満)などで勤務しました。
また,1・2年生は,日々空襲警報が発令され,授業はたびたび中断となる中で,サツマイモやカボチャなどの耕作作業や,空襲による焼夷弾(飛行機から投下する爆弾の一種で,爆弾が着弾すると引火性の強い油をまき散らして着火させて建物などを焼き払うために使用する)による被害を防止するために,市街地の各所に防火帯をつくる「建物疎開作業」に従事していました。

1回目の建物疎開は,5月19日から6日間行われ,8月6日は前日から10日間の予定で行われることになっていた,雑魚場町での作業の2日目でした。防火帯を作るために住民を疎開させ,軍隊がその家屋の取り壊しを行い,その後の後片付けを,1・2年生が担当していました。
そして8:15。爆心地からの距離は1.2km。

毎年,慰霊祭がおこなわれる荒神堂は,ちょうど作業を行っていたあたりにあります。

今年も,学友会長,学友会副会長,総務委員長の3名が,全校生徒を代表して参列しました。
8:00の開式後,学友会長による平和への誓いの献辞,学友会副会長による全校生徒が折った千羽鶴の献納。そして参列者の献花を終えた頃に8:15を迎え,参列者全員で1分間の黙祷を捧げました。

2020.08.06 16:30 | 固定リンク | 近況

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