2025 5年 修学旅行 1日目 その2
2025.10.15
2025 5年 修学旅行 1日目 その1
2025.10.15
ドイツ研修報告 その5
2025.10.04
〜フランクフルト散策と特別な祝日体験〜
2025年10月3日、ドイツ研修最終日は、フランクフルト市内を散策しました。

バルトロメウス大聖堂、レーマー広場、ゲーテハウスを訪問しました。
この日は、1990年10月3日にドイツが再統一したことを記念する祝日「ドイツ統一の日」で、レーマー広場では音楽会が開催されていて、さらに特別な体験となりました。
ドイツ研修を終えた生徒たちの感想を紹介します。
「私がこの研修で痛感したのは他言語で話すことの難しさです。
私の学校では頻繁にディスカッションの授業があり、いつも「意外といけるな」などと思っていました。
しかし今回はそうもいかず、常に無力感を感じていました。おそらくそれは私だけ英語で思考できなかったことが理由でしょう。私が授業でしていた「ディスカッション」はほとんどの場合日本語を母国語とする友人を相手とします。それは表面上の言語を機械的に置き換えただけのもので、使っていた道具は日本語でした。しかし日本語を母国語としない人たちと向き合う上ではその方法は通用しません。私の言葉選び一つが相手の思考に直結します。相槌ひとつとっても、常に自分の意図が伝わらない不安がつきまといました。あれこれ考えているうちに話題が移り、ろくな返事もできず黙ったまんま、なんてこともざらにありました。
現地での歓迎に感謝を伝えたくても、素敵な国を訪れられた感動を表したくてもその術がないもどかしさで、別れ際は涙が出るほど悔しかったです。
しかし私は今回の研修が虚しかったとは思いません。全く異なる環境で発達した言語で自分の気持を相手に伝え交流する先生方や友達を見て、かっこいいと思ったし自分もいつかああなりたい、と目標もできました。ありがたいことに、先生方のサポートのお陰で今後もギムナジウムの友達とはビデオレターやメッセージを通じて交流を続けられます。今回の経験を通して知った、他言語を用いて交流することの難しさと楽しさを忘れずより良い交流を続けたいと思います。」
「この研修を通して何よりも大切だと思ったのは「実際に会って話すこと」でした。ビデオレターをきっかけにお互いの顔を見たり文章で交流したりすることはあれど、実際に会って話すことで初めてわかることも多く、人と会うことがどれほど大切かを痛感しました。また実際に交流した人に関わらず、市街地や教会などで話を聞いたときにも話す人が与える印象が大きく関わってくると感じました。日本とは違う価値観を身に染みて感じる中で、現地に行って体験し対話することが知識としての理解と感性としての理解を両方深めてくれるのだなと感じました。
英語という共通語が当たり前ではない環境で生活してみて、言語そのもの以上に、価値観の違いによって伝わらない“ニュアンスの差”に不安を感じました。言葉の通じない環境であっても理解しよう、分かり合おうという姿勢が異文化理解において必要不可欠であることを実感しました。言葉の壁がある中で、その架け橋となる「英語」という共通語の存在がどれほどありがたくて、学ぶ価値がある言語なんだろうとも感じました。
この交流事業及びドイツ研修を通して様々な貴重な経験ができたことに、附属の先生方、広島大学の先生方、ギムナジウムの先生方と友達、附属のドイツ交流事業のグループのみんなに心からの感謝を伝えたいです。この研修を通して学んだ主体的な異文化理解の大切さと他言語交流の難しさを忘れずにこれからの生活へも活かしていきたいと思います。」
2025年10月3日、ドイツ研修最終日は、フランクフルト市内を散策しました。

バルトロメウス大聖堂、レーマー広場、ゲーテハウスを訪問しました。
この日は、1990年10月3日にドイツが再統一したことを記念する祝日「ドイツ統一の日」で、レーマー広場では音楽会が開催されていて、さらに特別な体験となりました。
ドイツ研修を終えた生徒たちの感想を紹介します。
「私がこの研修で痛感したのは他言語で話すことの難しさです。
私の学校では頻繁にディスカッションの授業があり、いつも「意外といけるな」などと思っていました。
しかし今回はそうもいかず、常に無力感を感じていました。おそらくそれは私だけ英語で思考できなかったことが理由でしょう。私が授業でしていた「ディスカッション」はほとんどの場合日本語を母国語とする友人を相手とします。それは表面上の言語を機械的に置き換えただけのもので、使っていた道具は日本語でした。しかし日本語を母国語としない人たちと向き合う上ではその方法は通用しません。私の言葉選び一つが相手の思考に直結します。相槌ひとつとっても、常に自分の意図が伝わらない不安がつきまといました。あれこれ考えているうちに話題が移り、ろくな返事もできず黙ったまんま、なんてこともざらにありました。
現地での歓迎に感謝を伝えたくても、素敵な国を訪れられた感動を表したくてもその術がないもどかしさで、別れ際は涙が出るほど悔しかったです。
しかし私は今回の研修が虚しかったとは思いません。全く異なる環境で発達した言語で自分の気持を相手に伝え交流する先生方や友達を見て、かっこいいと思ったし自分もいつかああなりたい、と目標もできました。ありがたいことに、先生方のサポートのお陰で今後もギムナジウムの友達とはビデオレターやメッセージを通じて交流を続けられます。今回の経験を通して知った、他言語を用いて交流することの難しさと楽しさを忘れずより良い交流を続けたいと思います。」
「この研修を通して何よりも大切だと思ったのは「実際に会って話すこと」でした。ビデオレターをきっかけにお互いの顔を見たり文章で交流したりすることはあれど、実際に会って話すことで初めてわかることも多く、人と会うことがどれほど大切かを痛感しました。また実際に交流した人に関わらず、市街地や教会などで話を聞いたときにも話す人が与える印象が大きく関わってくると感じました。日本とは違う価値観を身に染みて感じる中で、現地に行って体験し対話することが知識としての理解と感性としての理解を両方深めてくれるのだなと感じました。
英語という共通語が当たり前ではない環境で生活してみて、言語そのもの以上に、価値観の違いによって伝わらない“ニュアンスの差”に不安を感じました。言葉の通じない環境であっても理解しよう、分かり合おうという姿勢が異文化理解において必要不可欠であることを実感しました。言葉の壁がある中で、その架け橋となる「英語」という共通語の存在がどれほどありがたくて、学ぶ価値がある言語なんだろうとも感じました。
この交流事業及びドイツ研修を通して様々な貴重な経験ができたことに、附属の先生方、広島大学の先生方、ギムナジウムの先生方と友達、附属のドイツ交流事業のグループのみんなに心からの感謝を伝えたいです。この研修を通して学んだ主体的な異文化理解の大切さと他言語交流の難しさを忘れずにこれからの生活へも活かしていきたいと思います。」
ドイツ研修報告 その4
2025.10.03
〜ニュルンベルクで歴史を学ぶ〜
2025年10月2日、今日は少し遠出をして、宿泊地のフランクフルトから高速鉄道ICEに乗り、約2時間かけてニュルンベルクに行きました。

まずは、第二次世界大戦後に戦争裁判が行われたニュルンベルク裁判記念館を訪問しました。

その後は、聖ローレンス教会とゲルマン国立博物館を訪問しました。
ニュルンベルク研修を企画した生徒の感想を紹介します。
「ニュルンベルク訪問を計画するにあたって、第二次世界大戦の戦争裁判があったニュルンベルク裁判所はどうしても外せないなと感じていたのですが、実際に訪れてみて、本当に来てよかったなと感じました。ドイツは日本と同じ敗戦国でありますが、日本の教育としては客観的な事実を述べ、それに伴う感情や倫理的な側面などについてはあまり触れられません。対して、博物館での様々な解説は、ドイツ人の視点から「何があったか」ではなく、「何をしたか」という表現をしていたと感じました。(英語の解説がそのような表現をしていただけかもしれませんが)自分は日本でも裁判所を訪れたことがなかったのですが、実際に裁判が行われた部屋に入った途端、裁判が行われていないにもかかわらずかなりの緊張感を感じました。法の支配が平和にとってどれほど重要なものなのかを、改めて強く感じました。
午後に訪れたゲルマン国立博物館では世界中の美術品や発掘品などが展示されており、今まで訪れた博物館の中でも最大規模でじっくり見るには圧倒的に時間が足りませんでした。ドイツがキリスト教圏であるからか、かなり宗教的な絵画や彫像などが多かったのが印象的でした。教会などの訪問についても、無宗教である自分が宗教とはなんたるか、何のために存在するかなどを考える貴重な機会になりました。」
2025年10月2日、今日は少し遠出をして、宿泊地のフランクフルトから高速鉄道ICEに乗り、約2時間かけてニュルンベルクに行きました。

まずは、第二次世界大戦後に戦争裁判が行われたニュルンベルク裁判記念館を訪問しました。

その後は、聖ローレンス教会とゲルマン国立博物館を訪問しました。
ニュルンベルク研修を企画した生徒の感想を紹介します。
「ニュルンベルク訪問を計画するにあたって、第二次世界大戦の戦争裁判があったニュルンベルク裁判所はどうしても外せないなと感じていたのですが、実際に訪れてみて、本当に来てよかったなと感じました。ドイツは日本と同じ敗戦国でありますが、日本の教育としては客観的な事実を述べ、それに伴う感情や倫理的な側面などについてはあまり触れられません。対して、博物館での様々な解説は、ドイツ人の視点から「何があったか」ではなく、「何をしたか」という表現をしていたと感じました。(英語の解説がそのような表現をしていただけかもしれませんが)自分は日本でも裁判所を訪れたことがなかったのですが、実際に裁判が行われた部屋に入った途端、裁判が行われていないにもかかわらずかなりの緊張感を感じました。法の支配が平和にとってどれほど重要なものなのかを、改めて強く感じました。
午後に訪れたゲルマン国立博物館では世界中の美術品や発掘品などが展示されており、今まで訪れた博物館の中でも最大規模でじっくり見るには圧倒的に時間が足りませんでした。ドイツがキリスト教圏であるからか、かなり宗教的な絵画や彫像などが多かったのが印象的でした。教会などの訪問についても、無宗教である自分が宗教とはなんたるか、何のために存在するかなどを考える貴重な機会になりました。」
ドイツ研修報告 その3
2025.10.02
〜ハイデルベルクでの自主研修〜
2025年10月1日、ドイツ研修の後半は、生徒自身が行き先を決めた自主研修です。今日は、歴史と学問の街「ハイデルベルク」へ行きました。

まずは、旧市街を散策。アルテ・ブリュッケ(カール・テオドール橋)やマルクト広場に立ち寄りつつ、ケーブルカーを利用して山の上にあるハイデルベルク城や併設の資料館も訪問しました。

午後は、旧市街に戻り、ドイツ最古の大学であるハイデルベルク大学の学生牢や博物館、講堂、図書館などを見学しました。
ハイデルベルク研修を企画した生徒の感想を紹介します。
「私の企画したハイデルベルク訪問でした。午前中はお城を見学したり教会を訪れたり、ハイデルベルクの美しい旧市街を見学しました。ニュルンベルクでも多く見られたのですが、ドイツには戦争や火災で被害を受けた教会が多いにもかかわらず、鮮やかな色の壁が多かったです。彫刻や壁画は一部が壊れてもなお保存され、完全なものと遜色ないくらいの美しさがありました。また宗教の関係で人為的に壊されてしまった像もあり、ただ見た目の美しさを楽しむだけでなく歴史に対しても興味が湧きました。
午後に訪れた学生牢は壁一面が落書きで埋め尽くされ、怖いけれどどこか楽しい雰囲気もある不思議な場所でした。ただ落書きと言ってもノートにするような無造作なものではなく、ある程度秩序が感じられ、名言ともとれるメッセージが残されており異様な雰囲気でした。美術館や博物館とは異なる芸術の形であるからか、「保存」に焦点が当てられた説明が添えられていたのが印象的です。」
2025年10月1日、ドイツ研修の後半は、生徒自身が行き先を決めた自主研修です。今日は、歴史と学問の街「ハイデルベルク」へ行きました。

まずは、旧市街を散策。アルテ・ブリュッケ(カール・テオドール橋)やマルクト広場に立ち寄りつつ、ケーブルカーを利用して山の上にあるハイデルベルク城や併設の資料館も訪問しました。

午後は、旧市街に戻り、ドイツ最古の大学であるハイデルベルク大学の学生牢や博物館、講堂、図書館などを見学しました。
ハイデルベルク研修を企画した生徒の感想を紹介します。
「私の企画したハイデルベルク訪問でした。午前中はお城を見学したり教会を訪れたり、ハイデルベルクの美しい旧市街を見学しました。ニュルンベルクでも多く見られたのですが、ドイツには戦争や火災で被害を受けた教会が多いにもかかわらず、鮮やかな色の壁が多かったです。彫刻や壁画は一部が壊れてもなお保存され、完全なものと遜色ないくらいの美しさがありました。また宗教の関係で人為的に壊されてしまった像もあり、ただ見た目の美しさを楽しむだけでなく歴史に対しても興味が湧きました。
午後に訪れた学生牢は壁一面が落書きで埋め尽くされ、怖いけれどどこか楽しい雰囲気もある不思議な場所でした。ただ落書きと言ってもノートにするような無造作なものではなく、ある程度秩序が感じられ、名言ともとれるメッセージが残されており異様な雰囲気でした。美術館や博物館とは異なる芸術の形であるからか、「保存」に焦点が当てられた説明が添えられていたのが印象的です。」



2025.10.15 21:34
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